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体罰は必要なのか。 [雑記]

微妙な線引きだよねぇ。
でも、叩かれずに育ってる子は、
ひねてるというか、
ちょっと変人な子が多い。
遠い話かと思ったけど、
知人にいて驚いた。

人に向かって、
唾を吐くし、
「死ね」とか平気で言う。
同じ人間なのかと思ったほど。

多分原因は父親にあると思うんだよね。
その子の父親は、
あまり大声を出して叱ったり、
叩いたりしないの。
父親方の祖父母が躾で怒ることはあるけど、
それを見た父親は
「こいつも分かってるから、そんなに怒るなよ。
俺がちゃんと必要な時は叱ってるから。」
と言う。

でも、実際見てると、
叱っていても親の話なんて聞いちゃいない様子。
親は叱ってるつもりでも
子どもはどこ吹く風。
親の怒りが収まれば楽勝と思ってる感じ。

教育に体罰は必要? しつけに体罰は?
参照:テルミー


まず、躾と体罰は別物。
躾は「身」を「美」しくすると書く。
それは、人間社会・ 集団の規範、礼儀作法など
慣習に合った立ち振る舞いができるようにすることで、
その人(身)を美しく魅せる。
だから、褒めたり、叱ったりすることも含まれてる。

体罰は「体」に「罰」を与えると書く。
それは、私的に罰を科す目的で行われる身体への暴力行為です。
だから、叱ることです。

だから、「しつけに体罰は?」
別物ってこと。

じゃぁ、「教育に体罰は必要?」
教育は学問を受ける場所だったのに、
いつの間にか躾の場所になっていたりする。

親が共働きだったり、
片親で躾をできていなかったり、
親が子供と接する時間が少なかったりと、
躾をする大人の不在からだろう。

学問を受ける場所としてみるなら、
罰について学ぶことはあるけど、
罰を科すことって何があるの?
体罰の必要意義がないと思う。

中島みゆきさんの「銀の龍の背に乗って」より
"やわらかな皮膚しかない理由(わけ)は
人が人の痛みを聞くためだ"


この歌詞のように
時には叩かれて痛みを知る必要があると思う。
そうであれば、
人に向かって唾を吐いたり、
人に向かって「死ね」って言ったりせず、
痛みに気付けるんじゃないかと思ってたり。
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